TOP > 歴史・地理 > 伝承「彦次」 ≪ 伝承「彦次」 ≫
  萩多和城跡より東北へ1.7粁程の所を「彦次」と言う。ある年の戦に敗れた「彦次」が、この山奥に逃れ、山小屋に身を潜めて、疲れを癒して何日か過ごしたが、空腹のため夜な夜な他の山小屋を襲い、食糧を奪い、人目を忍んで暮らしていた。又、一説には見つかって七人を殺したといわれ、これが七人塚の由来とも伝えられる。一方、山作りする人々は、山小屋を見知らぬ人に奪われ、山畑に仕事にも行くことが出来ずに困り、密かに集って相談して、血判して秘密を誓い、決行の夜を迎えた。その人々が小屋の廻りに忍び寄ると「今夜はなんだか胸騒ぎがする。」と独り言を云っていたと伝えられる。小屋を囲んだ村人は、その時一斉に竹槍を突き出し「彦次」を刺し殺して逃げて帰って来た。翌朝、山に登り、小屋を覗いてみると、この前までこの村を治めていた「彦次郎殿」が串刺しになって死んでいたので手厚く葬り、この上に松を植えて墓印としたと伝えられる。これが「彦次」の地名の由来であります。
(日向 森藤くに、野中ふさ子)


<写真は夕暮山山麓に残る山小屋> 
  引用:「ふる里わら科八社〜第二集〜」(大川寿大学講座受講生一同・静岡市中央公民館大川分館、1981)