TOP > 歴史・地理 > 伝承「日向部落の地変」 ≪ 伝承「日向部落の地変」 ≫
  昔は大川、日向部落の中央を藁科川が流過し、川のほとりは広く平らな所があって、マコモの原と言っていた。今は茶畑となっているが、宇堂沢の付近だという。
この原にマコモ池があったが、ある時、禰宣の太郎、次郎の兄弟が、兄嫁のことから激しい争論をして腕力沙汰となり、太郎の履いていた金の靴が片方脱げてこのマコモ池に沈んだ。もう片方の靴は、黄金の杯と一緒に土中に埋め、そこに梅の木を植えたというが、それはどこか分からない。また、池に沈んだのは弟を斬った刀だとも言われる。
 この時代には川向こうの不動ぼつという所から山脈が東側までつながっていて、その上方の字はたいろう(畑色)に大きな池があったが、ある時、この池は一夜のうちに決壊して大川に大滝となって流れ下って、つながっていた山脈を突破して川筋を変えた。この時、大樹が倒れて土中に埋没したものが、今も深さ数丈(約十五〜十八b)の所から発掘されることがある。マコモの池は涸れてその形をとどめていないが、明治初年(1868年)以前までは池の跡には作付けをしなかった(美和村誌)


<今の小学校プール付近にあったとされるマコモの原> 
  引用:藁科物語第4号〜藁科の史話と伝説〜.静岡市立中央図書館.2000