TOP > 歴史・地理 > 伝承「石樽について」 ≪ 伝承「石樽について」 ≫
 静岡市を中心にして、藁科川があり、川に沿って昔から山ア新田、羽鳥、大原株田、富沢、八幡という部落があって、静岡市から大川村迄は、昔は七里という道のりでした。大川村から静岡市に着くと晩の六時過ぎにもなる大変な長い道のり、随分苦労を重ねて静岡市に行く時のこと。大川に入って坂ノ上、日向の坂をのぼって諸子沢と湯ノ島の別れ道とありなり、左にそって二町入っていった所が「石樽」という地名のところです。この地名について詳しく調べてみたいと思います。
 昔は藁科道路を通じて一番悪いところともなっていた。高さ百二十間、幅五十間ともあるところ、山道の巾は一尺くらいの道。歩いて夜通ると、誰しもが不思議なことがある。それは山の高いところから“ころころーん・ころころーん”という様な音を立てては、小石がたくさんに落ちてくる。夜になると石樽を通るには、誰しもが寂しいと、うわさが流れていたという。夜になると明かりをつけて、つまり提灯をぶらさげては通っていた時のことで、高い山の方から、ころころーん・ころころーんという様な音を立てては小石が落ちてくる。なんとおかしい変な音。誰しもが不思議に思って通っていた。その音はいかにも小さい。樽でも転がすかの様に思われる音にしか聞こえません。
 ある時、大きい嵐が起こり、大きい水が出て、村の人が川に巻き込まれて水死体となり、村の人たちが大そう心配して探しもとめて、ある晩に死体をかついでくると、一匹の大きい白いキツネが後を追ってついてきて、この寂しい石樽にて消え去ったとの噂が流れました。これまでの高いところから小石の音を立ててころころーん・ころころーんという様な音は、樽でも転がすようにも思われる音。みんなこの白キツネの仕業と村人は思うようになり、キツネのいたずらもバレて、この石樽を通る人々も、それからは安心が出来て、怖かったことも忘れてしまった、とのことです。時のことは安政元(1854)年の少し前のことだそうです。 
湯ノ島 佐藤竜作

今ではしっかりした舗装路が通る伝承の道
引用:「ふる里わら科八社〜第二集〜」(大川寿大学講座受講生一同・静岡市中央公民館大川分館、1981)