TOP > 歴史・地理 > 伝承「木魂明神」 ≪ 伝承「木魂明神」 ≫

 大川村日向の原坂忠左衛門方にうつくしい娘があった。
 ところがいつからから、毎夜、美少年が通ってくるようになった。娘は怪しんで母親に告げた。母親は17日の間、毎夜麻糸を紡ぎ、糸の端を美少年の袴の裾に縫いつければ、どこから来るのかわかるであろうと娘に言い、その糸の端を秘かに美少年の袴の裾に針で縫い付けさせた。
 翌日、長く伸びている糸をたよると、ほど遠くない老木の梢にひっかかっていた。美少年は、この大樹も精であったのかと、みんなに相談して切り倒そうとしたが、大木なので、その日一日では切ることが出来ない、翌日も切らねばならぬとその日は引き上げ、翌日見ると切り口が塞がっている、そこで、木を切るごとに木片を火中に投じて焼き捨てた。老樹は「キリクイ」と異様な響きをして切り倒された。そこでここを切杭という。大水の時は、よくその切り口が現れるという。
 また里人はその大木で空舟を作り、娘を乗せて大水の朝、藁科川に流したその船は安倍川の舟山で転覆した。このため、後世ここを舟山と呼んだのである。また途中赤沢の対岸の櫛筐(くしばこ)峠は、娘の櫛が落ちたところから、そう呼ばれたのである。またこの大樹は高さが三十三間(約60b)もあって、梢を清沢村の杉尾部落でも見ることができたので、この部落を杉尾と呼んだのである。このような因縁から、原坂家では畑に麻を作ることを忌んでいる、また同家に生まれる女子は、みな美貌が美しいという。なお、この老木は木魂明神と祀られた。
 
切杭そばに残る神代杉の切り株
引用:美和村誌/「駿河の伝説」小山枯柴編著・宮本勉校訂、羽衣出版、平成6年)