TOP > 歴史・地理 > 史話「大間の滝」 ≪ 史話「大間の滝」 ≫
 大間の滝は七ツ峰から直下百米、奇岩の間を三段になって落ちている。優に名瀑とされるのだが、両方の巨木に遮られて遠望が利かない。
 平安時代、この近くの内牧に牧場があった。そこで飼育された馬が四五才になると、良馬は「御馬」と云って朝廷の御用に、次は駅馬、伝馬となった。
 毎年五月頃、献上される馬は旅立つ前に此の大滝の水で馬身を洗い、途中無事に行ける事を願って、長駆曳かれて行った。それで此滝の事を「御馬の滝」と行っていた。
 平安末期に牧場が廃止されてから数百年の間は、ここへ来る人も無く、滝は秘境の中に隠れていた。室町の終わりに砂宮太夫らがここに移住し、江戸時代には小さな村となった。村の名を大間と云うのは、御馬の滝から来たものである。明治四十三年、時の安倍郡長田沢義輔は、岐阜県養老之滝になぞらえて、此度を福養之滝と名付けた。
 明治の頃まで近村の農家では、五月の節句に馬を曳いて来て滝の水で洗い、怪我のないよう、お産が軽くすむ事を願った。

 
<名瀑・福養の滝>
引用:「梶原景時の生涯ほか」(松尾四郎.松尾書店.昭和54年)