【 坂ノ上 】
地区最大の集落として大川を引っ張る

坂ノ上(さかのかみ)

 〜清流・藁科川の左右に開かれた薬師堂があたたかく見守る山里〜

 蛇行する藁科川を県道60号線にそってさかのぼり、和田橋を渡って、左に一気にカーブすると視界がひらけ、坂ノ上の集落が次第に目の前にひろがってきます。地名は、その昔、米沢官女が都落ちして栃沢にくる時に、同行した同門の武士の坂ノ上某(後に夫婦となり聖一国師の母坂本姫を産む)の名前からとったと言う説や、坂本からの四十一坂の上手にあるからなどの由来があります。

 藁科川をへだてて東組と西組に分かれ、宇山を加えて人口は大川地区では一番多く、113世帯304人(平成23年現在)が暮らしています。バス停近くの小高い丘・堂山には薬師堂を見ることができます。本尊の瑠璃光如来は、鎌倉時代の逸品で、平成15年には静岡市の有形文化財に指定されました。眼病諸病薬王神として、毎年2月8日近くの日曜に大祈祷縁日が開催されます。また8月13日には公民館前広場で大川まつり、9月1日には、地内4か所の地蔵の供養が行われています。

 かつて江戸時代に、藁科川を東西方向で結ぶこの地方最大の「ハネ橋」が架かってとされ、桑原黙斎の『安倍紀行』によれば、長さ50メートル、水面からの高さは10メートルあったと言います。




【薬師堂】

 
坂ノ上・薬師堂を紹介するパンフレットには、このような一文が記されています

「こんな山里に、どうしてこんなに立派な仏像が」と不思議に思う人は多いはずだ。約2メートルもある仏像。正式な名称は「薬師如来坐像」である(静岡市有形文化財/平成15年2月21日指定)。
昔から眼病に霊験があるといわれ、参拝者が絶えなかったと聞く。お堂のすぐ裏山には、村の鎮守が祀られ、外からは気づかないほど静かな空間が村の歴史を静かに刻んでいる。
                  〜「奥藁科 屋根のない博物館」(藁科エコミュージアム研究会)から引用〜


 市の重要有形文化財に指定されている坂ノ上・薬師堂は、現在は無住のお寺で、地元の坂ノ上町内会が管理し、毎月8日の縁日には、さらに上流の日向にある陽明寺の住職により法要が行われている由緒ある古刹です。

 この創建についての文献史料は残されておらず、確実なことはわかりませんが、地元の古老勝美惣太郎氏(故人)のお話としては、奈良時代に付近の豪族坂上氏によって行基菩薩を開山として建立、江戸時代には向陽寺の境内に再建されたといわれています。お寺はその後荒廃して無住となり陽明寺の末寺となり、薬師寺は安政元年(1854)に失火により焼失し、さらに寺は明治に廃寺。現在の堂は、昭和4(1929)年に再建されたものです。

 お堂の中は、中央に薬師如来、左右に古仏群が安置されています。中尊の薬師如来は今でも「目の薬師」と呼ばれていて、年齢の数だけ「め」の字を書いた神を奉納すると眼病に霊験があると信仰されています。またこの像は周囲の古仏群とは明らかに制作年代、法量(大きさ)、作風、構造等が異なっていて、当初は別の場所に安置されていたものと考えられています。平安時代後期12世紀頃の制作と推定されます。

 現在は藁科川西側の堂山中腹にある薬師堂ですが、元は杉尾川と唐沢川の挟まれた尾根部の寺森の山頂にあったといわれ、そこからは杉尾に登り、川根街道に接続する山間地ルートの重要な交通拠点であったと考えられています。

      参考:「坂の上薬師堂諸像について」(横田泰之氏、平成9年5月発行、地方史静岡第25号抜刷


<堂山の中腹にある薬師堂>

<正面に安置されている薬師如来座像>

<目の神様として現在も地域の信仰を集めています>
【和田橋】
 
 この橋を渡ると、そこは奥藁科・大川地区。
 まさに地区の玄関口とも言える和田橋は、昭和34(1959)年6月に架けられ、地域の主要道として、暮らしを支え続けています。
夏になると、この橋の両側は、水遊びをする人々で賑わいます。



【天王峠】



【兜巾山】



【杉尾】





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【巽荘】(食べる・遊ぶ > 巽荘)