TOP > 歴史・地理 > 伝承「清明塚の由来」 ≪ 伝承「坂ノ上 清明塚の由来」 ≫
 むかし、坂ノ上郷に、たたかいがありましたそうです。それは、大きなたたかいの、落武者の討伐でありました。東西にわかれてのそのたたかいでは、一隊は、東の小高い丘に陣取り、西の一帯は河原をはさみ、竹藪に陣を布き、抵抗しましたが、たたかい利あらず、遂に降伏して、平和の里に、よみがえりました。
 このたたかいで多くの武士たちが亡くなり、その死骸は、丁重に埋葬し、竹を植えて目標としました。村人たちはこの場所を発掘すると祟りがあるといって、戒めあいました。その後、村人たちは「五輪の塔」を建立して霊前に祈りを捧げました。そしてその地名をとって「清名塚」として祭りました。また、その時の戦場を「陣馬河原」とよび平和協定した場所を「机平」と今もその地名として残っております。
 また、戦死した武士の「鎧」「太刀」など地元の旧家に残っておりましたが、今はその家もありませんので、どうなったか分かりません。
塚は今もそのまま残っておりますが、最近土地の地主が変わったので、土地に守り神とし、丁重に祭られております。
(坂ノ上西組 勝見賢清、勝見まさ)

<机平から陣馬河原方面をのぞむ>  
引用:「ふる里わら科八社~第一集~」(大川寿大学講座受講生一同・静岡市中央公民館大川分館、1980)