TOP > 歴史・地理 > 伝承「四十一の由来」 ≪ 伝承「四十一の由来」 ≫
 藁科川上流の東側、坂ノ上より坂本へ抜ける道を四十一(しじゅういち)という。その道は曲がりが四十一あるので、その名前がついたと云ふ事です。
 又、ある人の話では、昔その道に大変悪い化けものが出て、坂ノ上からででも坂本へ抜けることができず、そこで、村中の人が出て探しても、影も形もなく行方不明になったそうです。其の数が四十一人となり、そのため、四十一と呼ばれたそうです。村人たちは、非常に嘆き、道の曲がり角に四十一の木像を建てて、道行く人の安全をお祈りしたそうです。木造を建ててから、安心して通ったとのことです。
 それから後に、西側に道ができ、あまり通行人はなかったそうです。そこで曲がり角に建てた木像も、取りまとめて西村の向陽寺薬師堂にけんぞくとして安置したそうです。しかしお寺の屋根の替え中、不幸にして、いくつかの木像は消失し、四十一の木像も、九体しか残ってはおりません。今も四十一の峠には、道の右側に石地蔵が残っております。
(坂ノ上 山本ふみ)

<肘打峠を二体の地蔵が見守る> 
引用:ふる里わら科八社~第三集~」(大川寿大学講座受講生一同・静岡市中央公民館大川分館、1981)