TOP > 歴史・地理 > 石仏「宇山のお地蔵さん」 ≪ 石仏「宇山のお地蔵さん」 ≫
 大正六、七年頃から始まったことでございます。坂ノ上に発電所が出来る話が出て、宇山地区を通る水路が必要だからと、地主に相談に来たそうです。話を聞けば、ここより百メートルほど登った所の切杭と言う場所から藁科川をせきとめ山すそを川伝いに水路を掘り、宇山を通って坂ノ上西平に第一発電所を作る計画だから、「ぜひ宇山を通してほしい」と、申し込んだのだそうです。地主の人達も「畠を取られても仕方がない。」と賛成しました。
 そうして大正六年から三年かかって、ようやく水路が出来上がりました。水路の幅は2メートル、深さは1メートル八十センチあります。出来上がって水路を良く見ますと、水の流れは速く「これでは、子どもはもちろん、大人も危険だ」。とても見ていられなくて、五人ほどで相談しました。守り神にお地蔵様をおまつりする事に話がまとまりました。早速、日向陽明寺住職に聞きあわせた所、快くお世話して下さいました。住職に聞きますれば「焼津市の小川地蔵尊は、大そう子どもを守って下さるお地蔵様ですから、そのお姿をお借りしたらどうですか。」と言われました。
 そこで地区の人達は町の石屋さんにお願いして、作って頂いた訳でした。お地蔵様を小川地蔵尊からお借りするときに、預天賀地蔵尊と言う名を頂きましたが、終戦後、坂ノ上子安地蔵尊と、名前が変わり、町内会長様が住職を頼みまして今でも供養しています。
 背丈七十センチ、胴回り一メートル十五センチで、左の手の平の玉は子どもを守ってくださる玉で、親指と人差し指で円を作っているのは、杖を持つところだそうです。とても可愛い顔をして「いつでもお参りしてね」と子どもを見守っています。
  坂ノ上/遠津よ志、(第4組)川久保ひで、森藤よね、森藤まつ、遠津とり

宇山にある坂ノ上子安地蔵尊
  
引用:『ふる里わら科八社(第二集)』(大川寿大学講座受講生一同.静岡市中央公民館大川分館.1980)