TOP > 歴史・地理 > 伝承「八草神明社」 ≪ 伝承「八草神明社」 ≫
 いにしえのこと、神社の裏山に杉の大木があって女神がいた。また、その向こう側の峰の中腹には池があって、ここには男体の竜神がいた。ある時、農家の女がこの池でタヤの汚物を洗った。竜神はこれに怒って女神と共に立ち去った。それからは池が枯れて山地となってしまった。今もここを池の段といっているが、ここの地形はやや窪んでいて大雨があると、水が一杯になる。また、大杉は山頂より二、三町(約二二○~三三○㍍)下った所にあって、夕日に照らされたその影は三十余町(約三・三㌔)も隔たった楢尾部落に達したという。
 老杉の所在地は、今の崩野地内に属していて通称を女杉という。老杉は女神の去った後、おのずと倒れてしまったが、神木であるので人々は恐れて伐採する者もなく、その一部を氏神の社殿の用材に使ったのみである。
 なお、志太郡東川根村智者山の大野神社の前に立つ観音は、この神木を用いて行基が彫ったものである。この大野神社は、往古には大野郷大野神社と称して大化三年(六四七)丙未の年三月に祭られた。祭神は猿田彦大神であった。社地は元は大野が岡にあったが、中古に、社地の北の方角に十余町(約一.一㌔)隔たった智者山神社の社地が神慮にかなったとの夢の告げと、毎夜、大野が岡からここへ火の玉が通ったと云うので現在の場所に移したのだと言う。
 ある時、賊軍が乱入していたるところの人家を焼き、貨物を掠奪し崩野を過ぎ、八草に入ろうとした。村民は防ぐ力がないので、山林に逃げ隠れた。高橋家の祖先某は焼かれるよりは自ら焼く方が良いと障子を積んで火をつけたが燃え移らない。火種もなくなったので氏神の社殿に詣でて、賊軍の防御を一心に祈念し、大樹によじのぼって情勢をうかがった。その時、賊は荒らしに荒らして八草部落に押し入ろうとした時であったが、突然、神殿が振動し、異様な響きが起こり、向かいの山の峰の方でも山が崩れるような大声が上がった。賊軍はびっくりしてあわてふためき、食器を土の中に埋めてどこかへ逃げ失せた。高橋某は安心して樹を降り神殿を見ると、神殿の扉が開いていた。食器を隠した所を、とう椀ぼつと言い、中古、ここから異様な椀を掘り出したことがあったという。こうした次第で、氏子はますます尊崇の念厚く、年々祭事を怠らないという。(美和村誌)

<八草は廃村となり、社も今はない> 
<社殿の礎石の跡がわずかに残る>
引用:「藁科物語 第4号~藁科の史話と伝説~」(静岡市藁科図書館.平成12年)